新現美術協会50年史(2000年12月刊行)刊行の言葉50周年史刊行にあたって成瀬忠行新現美術協会も平成12年をもって50周年の記念展を迎える。ふりかえって驚くことに実に半世紀の間、長くも又短くもめまぐるしい歴史の一幕であった。決して平坦な道程ではなかった。さか登って新現会の創立は昭和24年、代表佐藤多都夫外8名の会員によって結成された。当時はまさに戦後の混乱の時代、戦後の復興は物心両面で厳しい状況下にあり、勿論人々は、日々苦しい生活に追われ、芸術文化とはほど遠い時代でもありました。会はその結成の2年後の昭和26年新たに4人の入会員を加えて、新現会の第一回展が藤崎デパートを会場に開催されました。参加者は若く20代30代の青年作家、軍隊復員の軍服姿の会員もおりました。 ちなみに第一回展の出品作家を当時に想いをはせ特記してみたいと思います。まず代表の佐藤多都夫、会員の相沢正、佐藤福子、守谷玉雄(現在新沢玉雄)、桜井武彦、志賀広、八巻行雄、菅原忠造、高橋宏、中原四十二、立川鴻三郎、佐藤新一、成瀬忠行、の13名の会員でした。その中で現在在籍会員は私成瀬のみとなり半数以上の方は物故人又残りの方は老齢病気等で退会されました。さてそもそも新現会の歴史の始まりは何だったのか、我が国の美術界は昭和初期以来官展と在野に分かれ、この図式は戦後、対等から在野が優勢となり、多くの公募団体が竹の子のように誕生して行った。そして各種の公募団体は具象、抽象、又シュール等と個々の路線を歩むことになる。その頃、戦後の仙台の美術界はどうであったか、仙台での主流の画家は良くも悪くも、具象の天下であった。その逆風の中にあって仙台の若手作家達は具象、抽象を論ぜず、新しい創造的な現実を求めて行こうという気運の中、共鳴する作家が相寄り共に研究、共に発表という誓を求めて立ち上がったのが新現会の結成であった。フランス流ではエスプリ、リアリティ、ヌーボーの訳である。新現会の目的は故佐藤多都夫代表も言っておる通り、最初から前衛の旗を立てての出発ではなかった。新現会はその名の示す通り新しい創造の現実を目指しての結成であり、これがやがて作家達の自由か各人の様式を求め始めることにより、自然と前衛絵画への拠点となっていったのである。新現会はどちらかと言えばアブストラクトや新象画風の傾向を求めてゆく作家が中心であった。今年50周年を迎え、これまで多くの作家が育っていったことを何よりうれしく思う。今年はミレニアム2000年を迎え20世紀の出発点の年でもあり、国際化情報化等社会の変化は過去に類を見ない速さで進行しておる。仙台では大望の大型ギャラリー「メディアテーク」がいよいよ平成13年から完成することになる。これを機会に新現会は新時代の要請に応え、時代を誤ることなく、新たな価値を目指し創造的な個性と発見につとめることが必要と思う。一方人間性においても人格の育成につとめ、地域文化の振興に寄与することも大事なことであると思う。最後に私は新現美術協会が過去50年の歴史の流れのなかで常に、仙台画壇に新風を送り美術振興の発展にも大きな功績を残したのは、まさに新現美術協会であると、私は自負しておる。 |
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