新現美術協会50年史(2000年12月刊行)


時よ

小山喜三郎

 句切りの年に当り、21世紀へのかけ橋を渡り初めた我が新現会への想いをのべてみたいと思う。

 絵画団体を結成し、展覧会を継続していく場合、その年数に応じた会の成果を正確にはかることは 極めて困難である。芸術に於いては、完成ということはあり得ないことを念頭において、持続している美術団体のあり方を考えてみることにした。創立の頃は元気旺盛だが、着実性を欠く背伸びが多い。20年を過ぎると着実性が停滞を招くことにもなりかねない。そして30年を過ぎる頃には一種の悟りと錯覚するようになる団体が多いと思う。

 「是非初心を忘るべからず」「時々の初心を忘るべからず」「老後の初心を忘るべからず」これは世阿弥の花鏡に出てくる言葉である。最初の「是非初心を忘るべからず」というのは、若い時の熱心な好奇心、多くの失敗などの是なる面も、非なる面も生涯忘れるなという意味である。いわば青春の第一段階では、人にいろいろ批判され、笑われても全力をあげることであり、才能を認められることもあるが、それをまことの花と思いあがってはならないという戒めでもある。次に「時々の初心を忘るべからず」とあるのは、各時期の全体験を只今の一事において生かすをいうことである。「老後の初心を忘るべからず」というのは、今迄の体験の集積の上に立って行うのが「時々の初心」だが、さらにそれに老後らしい工夫を加えねばならない。これは一大事だと考えるのが「「老後の初心」である。団体展に関しても、一人の芸術家の生涯と同じことがいえよう。新入会員が既成の枠の中に安易に入り込み、先輩の長所を学びとり利用することが続くと、老成していく一人の作家と同じ姿になる。

 創立会員は総て逝去され、現在は48名の会員で構成されているが、なくなった18名の方々をのぞき、他の団体へかわった方などを含め退会者は33名を数えており、鮮烈な新陳代謝であると考えられないだろうか。30年史の中で、私は「草創期・発展期・醸成期と分けさせてもらえば、発展期に入会した我々は、会の中核として活躍しなければならない」などと記していた。お恥づかしい限りであるが、それでは現在は醸成期に入ったかといえばさにあらず、むしろ新しい変革と発展のときを迎えようとしていると思う。

 六回の美術講演会を開催し、市民の為の美術教室を30年間も続けてきた一般の方々への反応は、我が会への期待と理解・声援となってきた。それを背に受けとめて、会員同士はそれぞれに表現の可能性を求めて、無限の増幅とデットヒートを繰り返している。このことは、展覧会第一主義を目指した草創期の先達の理想が見事に生き続けているといえようか。40回から10年間は、展覧会中心だけのようにみられがちだが、それは社会情勢の変化と、会場の狭隘さによる所が多い。鬱々として蓄積されてきた会場難への不満は、新設のメディアテークの大空間を征服しようという意欲で燃えあがった。先年いちはやく部門を撤廃した卓見は、新ギャラリーの大空間を得て、いま花咲こうとしている。21世紀の新、新現会を目指すここ数年の意見交換の活発さは、ホームページの開設をはじめ、新しいメディアの長所を生かした企画へとひろがり、日本はもとより世界の作家達との交流を視野に入れた新しい展覧会の形を模索する動きとなっている。会員の心は、世阿弥の三つの初心をあわせ持った集団のまとまりで一体化し、まさにリアリティヌーボーの再来である。


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