新現美術協会50年史(2000年12月刊行)


新現会に思うこと

北折  整

 新現美術協会の第1回展が藤崎デパートで開催されたのが昭和26年、私が生まれたのが昭和35年であるから、勿論私は創立会員の志や当時の美術或いは社会の状況などを知る由もなかった。今般この原稿を書くに当って、30周年及び40周年記念誌に寄せられた先輩諸氏の文章を拝読し、同協会に対する熱い想いを改めて確認するとともに、当時の様子をおぼろげながら創造している次第である。

 今回で創立51周年第50回展を迎える協会は、その年月の永きが故に尊ばれることはないが、一つの美術の同人展が50年に渡って存続し活動しているということ自体は、奇跡という他ない。創立会員の一人で協会の指導的立場にあった佐藤多都夫先生が、30周年記念誌の中で創立当時の会員の意識を「描きたい絵を描いて、自由に展示して主張できる城を造りたい。やがてそれが、大きな渦となって拡がればよい。」と述べておられる。更に「自分の自由な制作を自由に発表できる展覧会を持つということは、自由表現への意思、方法の可能性を増幅した。」とも述壊なさっている。これらの言葉から分かる様に、新現美術協会はもともと何かに対する批判的精神や、ある種のイデオロギーの下に組織された団体ではなかったのである。この伝統は今現在も生き続けていると、私自身、身を持って実感している。そして何よりもこの力みのない自由な思想が、この協会を50年の永きに渡って存続させている要因となっているのではないだろうか。

 私は常日頃からグループ展というものは、ある種のコミュニケーションの場だと思っている。それは出品者と来場者の、または出品している作家同士の間で、作品を通して成り立つ関係である。そして、新現美術協会は、非常に自由に、他を尊重しながら一つのコミュニケーションの場を提供してきたのではないかと思う。それはかつて実施されていた、協会による一般市民へのクロッキー教室などの諸活動などからも窺い知ることができる。

 しかし、この自由さ、お行儀のよさというものは、美術に於いては、時として質の低下や保守的なマンネリを生むことがある。しかも50年という歳月は、悪い意味で協会を権威づけてしまいかねない。繰り返し述べるが、新現美術協会は一つのイデオロギーを持った運動ではない。何が協会の基盤になるのかと問われれば、それは取りも直さず個々人の独立した制作そのものということになる。となれば、協会の質を維持する為には、あたりまえのことだが、会員が自らの制作に真摯に取り組み、意欲的な作品を制作することが必要となる。これ以上のことはない。そして新現美術協会という場を通して、作家が、作品が、他とのコミュニケーションの中で育っていければ、これほど嬉しいことはないと思う。

 私がこの協会に参加して早10年が経とうとしている。その間、常に諸先輩方の意欲的な大作の前で畏縮し、うつむいて「今回もこんな作品しかできなかった」ことを恥じている。いつまでも若手ではいられない。いつか胸を張って、展示会場で来場者と会員達と対等な気持ちで、コミュニケーションできることを念願して筆を置くことにする。


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