新現美術協会50年史(2000年12月刊行)


新現美術協会30年の歩み

第一回展から第5回展まで

成瀬忠行

 新現会も56年1月で30回展を迎えようとしております。30回展と一口に申しますが戦後35年を経過した現在、新現会創立の歴史は戦後とともにあったと言っても過言ではないと思います。即ち昭和24年佐藤多都夫、相沢正、佐藤福子、守谷玉雄、桜井武彦、志賀広、八巻行雄、菅原忠造、高橋宏弐の9名の諸氏によって創立されたのである。その時の組織の目的は一つの主義主張にまとまったと言うものでなく互に自由に制作研究し合うという目的であった。30年後の現在もその思想には変りない。年前後して新東北美術会が昭和21年戦火の荒れた仙台市から終戦を待っていたように誕生した。この会は昭和30年10回展で発展的に改称宮城県連合美術会に移行された。又東北唯一の公募である河北美術展も昭和20年の終戦の年を休み翌21年度より仙台三越デパートで開催(10回展)されたのである。さて話しはもどり新現会は昭和24年の創立より以来、2年間の発表準備ならびに制作研究の効果もあらわれ、昭和26年に新たに中原四十二、立川鴻三郎、佐藤新一、成瀬忠行の4氏を第一回展覧会会員として迎え、同年5月藤崎デパートに於いて開催する運びとなった。当時展覧会場は戦争による仙台大空襲のため会場といえば焼けた建物を修復した三越、藤崎デパート位なものであり、なかなか会場の取得には予想以上のものがあった。しかし第1回展は運よく藤崎デパートの特別の好意で借室することが出来、決定後1週間の準備期間しかなかったが、会員の充実した作品をもって壁を埋めることが出来たことは会員の地味な制作研究を続けてきた賜であると思っている。もちろんPRのための案内状、目録はガリ版刷りのお粗末なものであった。しかし30年前のこれらの資料を手にするときに感無量を感ぜずにはいられない。当時の巻頭言の一頁を紹介しよう。「新現会が発足してから既に2年の歳月が流れました。同人の絵画への捨てがたい愛、制作の激しい意欲につながって絶えず励まし合いながら各自の個性の発現深化につとめて参りました。そして初めての第一回の発表会をもつことになりました。……という主旨のもの又目録の広告を参考までに記録すると、文房堂の広告の洋画材料相場は、カンバスF4〜¥50、F6〜¥110、F8〜¥130の価格であった。

第2回展は昭和26年11/7〜11までの間、県芸術祭参加のもと仙台市の公会堂画廊に於て開催された。当画廊は昭和21年に仙台市が現在の市民会館の場所に建築したもので当時としてはかなりハイカラな画廊であった。新東北美術展も第1回展は当画廊を使用した。

 さて新現会第2回の出品者は11名、内立川鴻三郎、桜井武彦の両氏はすでに故人となっておる。展覧会の目録カットは志賀宏氏「電気スタンドと果物」をキュービックに描かれておる。又ポスターは第2回展より本格印刷となり会員11名の名前が印刷されカラーは白黒黄の三色刷りであった。報道関係では当時の河北新報は第2回展を「美術の秋」というタイトルで写真入りで好評のうちに記事にしてくれた。

 翌年第3回展は前回同様、市公会堂画廊で開催された。この年は民間放送JOIR放送開始記念の年でもある。3回展ともなれば大部馴れもありともに前回より充実した感じ。目録カットは今は故人となった桜井武彦氏のハイジャンプのカットが強く描かれておる。会への賛助者も10名程のパトロンが出来た。今は故人となった前東北大学の村田潔教授又河北新報社の前宮崎学芸部長のよき理解と助力に対し感謝の意を表したい。3回展も終了しこの年の秋から治明2回の小品展開催も決定された。

 さて昭和28年この年は仙台に新現会の刺戟を受けたのだろうか新しい前衛グループ、エスプリヌボ−(代表宮城輝夫外31名)が誕生した。当グループは現代絵画を純粋に創造することを目的に旗上した所謂前衛的美術団体で新現会にとってはよきライバル仲間であったと思う。この中で第4回新現会展はこの年の10/30〜11/3までの間前年同様仙台市の公会堂に開催された。目録も6Pと増頁となり表紙カットは新沢玉雄氏の「人間」又ポスターは中原四十二氏デザインによるものであった。昭和29年6月の新現会にとってかねて念願であった「市民のための美術教室」が仙台アメリカ文化センター館員三井氏(現在宮城教育大学教授)の尽力と当時の館長米国人ウォッツェル氏の理解ある協力により開設された。以来現在も又アメリカ文化センター廃館あとも仙台市と共催で市の教養センターのなかで美術愛好者のファンでにぎわっておる。我々会員が無償奉仕で過去27年間も市民のために尽してきた功績は大きいと自褒してよいと思う。戦後の仙台市民のなかにも初めて美術の灯がとぼされたのもこれが初めてであったと思う。会も昭和30年開催で第5回(1/5〜9)を迎え一つの会のクギリであった。世間の眼は多少なりとも関心を寄せてくれたと私は思っておる。それは仙台駅前の丸光デパートの好意で無償で会場を提供してくれたことであった。この丸光デパートの心ある好意はなんと昭和30年(5回展)より昭和48年(22回展)と実に17年間も我々のために無償で貸してくれたことで振りかえって心から感謝の意を表したい。さて第4回展まで会員11名と変動はなかったが第5階展より向井俊平(28入会)又林春夫、三塚和夫、山崎次郎(29入会)の4氏を会員に迎え第5回展が開催された。第5回展を記念に会としては特別機関紙(17P)が発刊され、小史、自画像入れの会員の発言、アメリカ文化センター活動状況また外来の祝辞を浜田隼雄、菅野廉、渡辺正三郎、中村爽歩、杉村惇、澁谷晴雄、庄司直人、石井昌光、宮崎泰二郎の諸氏より有難たく原稿を頂戴した。5年間の会の歴史は私達会員に自信と勇気をあたえてくれた。そして会員一同は10回20回30回展の開催までをかたくちかいあったのである。


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