新現美術協会50年史(2000年12月刊行)


46回展から49回展のころ

佐藤光郎

 1996年住専処理6850億円投入、地下鉄サリン事件の松本被告公判スタート、1997年神戸の小六殺害で14歳逮捕、消費税5%スタート、1998年カレーにヒ素混入4人死亡、戦後最悪不況24兆円の対策、1999年完全失業率最悪記録更新、国内初の臨界事故発生。戦後日本が築いてきた経済大国路線は、20世紀末にその破綻の兆しを表出し始めた。経済大国に変身したとはいえ、国家を支える道義力を問い質することなく進んできた結果として、宗教関連事件、多発する少年犯罪等に顕著なように、倫理感覚の欠如が広く顕在化してしまった時期でもあった。

 極度の経費削減、効率化を図った結果として、前述の臨界事故、あるいは国産ロケットの打ち上げ失敗等重大な事故に結びついたことは否定の余地がないところである。このことは、美術関係に対する施策についても、当然のように波及してきた。例えば、1999年12月の国会で成立した国立美術館・博物館の「独立法人化」等はその一つである。2001年には、現行の4つの美術館はひとつの「独立法人国立美術館」に、3つの博物館も同様の「独立行政法人国立博物館」にする予定であるという。効率化優先で、研究活動などの弱体化に至る恐れが残る結果となった。経済上の要請、政治上の数字をあわせただけの決定であれば、あまりにも悲しいし、危険であると言わざるを得ない。

 そんな中、東京、六本木にナショナルギャラリー(仮称)の建設が本決まりになり、1999年3月にはその概要が示された。大公募展、団体展や海外からの巡回展中心の貸し会場となる計画である。また、仙台ではメディアテーク(仮称)の建設も始まり、2001年の開館に向けて多くの期待を集めているところである。

 さて新現会のこの時期の活動を振り返ってみたい。

 この間46回展(1996年)〜49回展(1999年)の会場はすべて市民ギャラリーでの開催となった。会期が11月末といった時期のせいもあるのか、各会員の一年の総決算といった色彩をおび、会員それぞれがその年の代表作で真っ向勝負といった感じの充実した展覧会となった。会員賞は連続受賞の北折整や、高橋幸三、畠山信行、鈴木琢也、千葉啓子、増子よしひろ・・・・等新旧会員でのデットヒートが毎回繰り広げられた。新入会員をあげてみると、伊藤信義、小出敬子、増子よしひろ、太田布美子、尾形尚子、加曽利晃一、木皿京子の七名が新たに加わり、インスタレーションの作品が出品されるなど、新たな挑戦への息吹を感じた。招待出品では、霜山直良がメゾチントによる作品で49回展の招待賞を受賞した。

 また、この時期は会員の対外的な活躍、活動が特に目立って盛んになった時期だったともいえよう。アジア国際美術展、日韓現代美術展、日韓国際交流展、仙台・大邸国際交流展、スペイン美術展等の国を越えた作品展に多数の会員が参加した。さらに、別府現代美術展、伊豆美術祭り、上野の森美術館大賞展、熊谷森一大賞展、美浜美術展、銀座大賞展、天理ビエンナーレ・・・・・等のコンテストへの積極的な出品も数多く見られた。こういった対外的な場所での成果を会員相互が新現会に持ち帰り集うことで、会の更なる飛躍につながることを期待したい。

 新現会は第49回展で会員数60名を抱える美術団体になった。


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