新現美術協会50年史掲載(2000年12月刊行)
「ふりかえって思うこと」
一昨年、私は今までの仕事場が手狭となり、庭の一画に無理して物置と絵の収納を兼ねた仕事場を作った。自分の作品も引越しとなり、少しずつ整理する作業の中で、昔からの自分の作品と一点一点対面することになった。元々自分の作品というものは、一年も過ぎれば欠点がよく見えるものではあるが、これらの全部の作品の中に、めぼしいものはほとんど無くて、どれもこれも稚拙さばかりが目につき、よくも人前に発表して来たものだと、その時々の無知な感覚に赤面するばかりであった。五年ほど前、はじめ原因不明の病気になり体重がどんどん減っていった時は、その時制作中の作品の前で、治る病気でなかったら、これが自分の遺作になるのかなと半ば本気で思ったことがあった。無事、命永らえているにもかかわらず、その後、以前とくらべてどれほど生き方が変化し、どれほど本気で制作に取り組んで来たと言えるのであろう。お笑いである。
しかしながら、ふりかえって考えて見ると、私は中学校教員という多忙な勤務との両立に努めながら、多作的ではなかったにせよ、作品の制作には、その時その時、かなりまじめに取り組んで来たと思うし、時には意欲のなさを、体力のなさと逃げた事はあっても、作品と向かい合っている時は、その時できる自分なりの最善に近い努力をしていたので、すべてを含めて、それが自分の実力と容認せざるを得ない。
私自身の絵についてふり返ると、私はいつも画面には動きを求め、しばしばそれは主題に近い重要な要素になることもあった。コンポジションの美しさや、静物画的画面構成よりは、音楽に近い、より動的で、画面上で色や形が作り出すドラマチックな要素に強く惹かれてきた。一方で技法的には、これらの事と相反する面もあるが、私はできれば画面の細部や隅々まで神経を使い、自分の意志通りに納得ができる形や色を画面に定着させたかったので、アクションペインティックな技法や、オートマチックな技法から生まれる偶然性の強いおもしろさを自分の作品に取り入れることは少なかった。多種多様な他人の仕事ぶりや作品に魅力を感じたり、やろうと思えば自分にも出来そうなことでも、実際に必然性がなければやらない事は多い。
私はこれまで、自分の内なる情景とか生活感、私が気に入る風景画のようなものを求め、作られた空間の中に自分の気持ちの一部を託そうとして来たのかなと思う。
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