菅原 弘 (すがわら ひろし)
Hiroshi Sugawara

新現美術協会50年史掲載(2000年12月刊行)

「わたしの戦後美術雑感」

戦後ようやく、日本国土にも文化の復興の兆しが見えて来た。なにせ毎日の食べ物を獲得するのが精一杯の時代で、鉛のチューブに入った絵具を買い求めるなんて、地方ではとても無理なことである。まだ中学生だった私は、母のつくった小さなリュックサックに農家から掻き集めて来たお米を入れて東京まで運んだのである。その都度時間を見つけては、銀座周辺の画廊に立寄っては、むさぼるように見入ってた。当時は東西の名画を観ると云えば粗末なカラー印刷をながめているのがせめてもであった。その頃銀座にはサエグサ画廊、兜屋画廊、日動画廊、ブリヂストン美術館、近代美術館と逓ち並び個展や企画展がおこなわれていた。公募展も、やっと上野、都美術館で団体会が開催されていた。

油絵具を自作しようと顔料を亜麻仁油で練りあげたり、キャンバスは背広の芯地に、ニカワと亜鉛粉を塗り作ったりもした。学校では、セザンヌから始まりルノアールと絵具の使い方や技法を学ぶ、世界の美術発進の中心もフランス、モンパルナスからアメリカ、ニューヨークに移り、ありとあらゆる表現方法が試みられる。日本美術会に、新制作協会をはじめとした新具象派が現われ、新抽象派から無定形のアンホルメ派まで続々と現われるのである。山口長男氏、村井正憲氏の明解なフォルムを中心としたもの、山口薫氏、脇田和氏などの日本的モダニズムの画風に惹かれたのもこの時期であった。いまの時代は物が豊富で、絵画も種類が多くすべて整っている。恵まれた環境の中で自分の好きな絵を描けることに感謝している。

21世紀美術の行き先も大変気になるのであるが、ジャンルの枠をはずした新しい芸術が展開されて行くことが楽しみである。

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