伊勢 文夫 (いせ ふみお)
Humio Ise

新現美術協会50年史掲載(2000年12月刊行)

「色彩と映像」

ついに新しい色彩と映像の時代が来たのかと思う昨今である。

オリンピック入場式を観た印象の話であるが、デジタルハイビジョンから日本選手団の入場はマントの色が文化と全く結びつかぬ様は、何を最優先させたものなのだろうか。国を代表するイメージのひとつと考えられてきたものである。

色彩との遊びが人生の勝利、怒涛の時代を疾風するように駆け抜けているのだろうか。「おしゃれ」とでも思いたいが死語のようにもなってしまい今の自分には理解に苦しむ時でもある。これを乗り越える技を見つけ出したい。あの美しいテレビを観ていると自分もその世界に参加し、たくさんのイメージが頭へ入り自分も何かしたいとあせってしまう。これが大事なのだが、何でもできそうで何もしていないのが残念でならない。何でもできそうだが、いっぺんにはできない。 すべてをいっぺんにはできない。白髪になってしまい身の丈の自分との生活だけを考えると更にできない。入場行進から得た色彩は不安が今の我々の堅実な生活信条と世代間とのずれが頭をよぎるが、感動やチャレンジをキャンバスにぶつける時、作品との対話に力不足が生じ筆が動かなくなってしまいます。 有名ブランド品だけが目移りし、昼日中盛り場をほっつき歩いているのが目に止まり作品感覚と遠い気持ちになるのは取り組みへの影響大と思っている。「ずれ」と認めたいのだが勉強不足これしかない。マントにふさわしい生活と知性や教養が真のファッショナブルと考えるなら、あのマントは何だったのだろうか。

今、興味の一つに「旬の一品」がある。タバコをやめてからちょっとの甘さが味にも芸術を感じるのである。色彩といい色どりとて食材の豊かさもあって心をおどらせてもくれるのが楽しい限りである。庭では辛いダイコンが待っている。つまり、「そば」、旬のそば、大好きなそばだが、山形で食するあのかたい太いそば、ここ十年間食べても食べても自分の味にフィットしない何是だろう、どうして真冬に板そばがおいしくいただけるのだろうか、まだ理解できていない。 場所により仙台人もおいしいと思われるつなぎ入り風そば味は100%そば粉の山形ではめずらしい店となる。今年も雪の山形でそばに挑戦しなければならない。あと7年、自分流のそばづくりのため学びたいのである。我庭の辛いダイコンや、ネギとともに旬の色や味を作ってみたい。そして、こんな味もキャンバスに表してみたいのが夢である。 私の作品は、安穏とした日常から逸脱する仕掛けのように心しているが、家族の生活の場に土足で上がり込んで亀裂を走らせてしまった事が多々あり、調和を求める日々と活性化の少なくなった自分が白いキャンバスにどう答えるか毎日自問自答し悩みを解決しきれないのが私なのである。

“美を求めて、充実を求めて”

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