森 眞澄 (もり ますみ)
Masumi Mori

新現美術協会50年史掲載(2000年12月刊行)

先日、知人が玄関に飾ってある私の小品を見て、「アラー、こんな素敵な作品も描くのねー。あっそうか、誰でも抽象の前は具象からスタートするのだものね。」と、本気で言った。

弟夫婦がもうすぐ家を建て替えるという。私の絵を飾る壁を予定しているから宜しくというので、「今ある作品の中から好きなものをどうぞ」と話すと、やはり形の分かる絵がいいのだという。なんてことだ!!40年記念誌の私の文章の最後にも、意識したわけではないのに同じようなことが書かれていた。

展覧会場で知り合い、「東京展」に出品している人が、毎年招待状を送ってくれる。今年もその連絡の電話の中で、「私の作品はあなたと違って、冷静なというか知的というか・・・」ふーん、確かに弱点を突かれた。

私は、高校生に教える授業ではアクリル絵の具を使っているが、自分の制作では速乾性の油絵の具だ。何度かアクリル絵の具に挑戦しようとしたが、なかなか踏み出せない。この、もう一歩が踏み出せない場合がこの頃特に多くなってきた。どうしても抽象でなければならないのか。油絵の具でなければならない理由は何なのか。絵画以外に私を表現するものはないのかなー。「四十にして惑わず」どころか、もう充分年は重ねたのにである。

今年5月に17年間生活を共にしてきた愛犬を亡くした。毎朝公園に散歩に行くと、同じ町内で作品を精力的に制作しているAさんが犬をつれご主人とジョギングに出かけるのに会う。私も主人と一緒だが、手に持つのは沼の鯉にやる餌とゴミ袋だ。帰りに公園の周囲のゴミを拾って帰宅するのだが、何ともじじババ臭いではないか。もしかすると、こんなところが一歩踏み出せない原因か?

50周年を前に、本人は真面目に考えようとしているのだが・・・。

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