櫻井 忠彦 (さくらい ただひこ)
Tadahiko Sakurai

新現美術協会50年史掲載(2000年12月刊行)

「制作する事」

「どうしてあのような形が出来るのですか、最初から考えているのですか。」などと問われる事がある。実際の所、制作を始めるにあたって何々を表現すると言ったような明確な考えは無く漠然としたイメージがあるだけである。制作過程は周囲にある自然の形体を描くことから始まる場合が多く、初期の段階の成り行き任せの表現行為は無目的に近い。主に平面上の表現であるが、平面内で表現された空間はイリュージョンの空間であり広がりが無限である。その広がりの中、心と共鳴し、感覚と合う形を見いだすまで画面上で試行錯誤と表現の葛藤が繰り返される。その行為を重ねるうちに自分の体質にあった形体や色彩、マチエルなど見つけ描き出す。その結果として漠然としたイメージから自分が何を表現したかったのか、何を考えていたのか焦点化され、作品が形づくられるのである。

無限に存在する自然の形体や色彩から何を引き出し表現するかは体験、環境などから作られた体質的なものや、内面性で決まる。結果として制作時に自分自身が作品に表現される事になる。それ故に作品は日記のようなものであり、題名には制作年月を入れる事にしている。

あと数日で21世紀、その中で制作活動を行う50半ばの自分を見る。なぜ多くのエネルギーを費やし、経済的にみれば無駄と思われる行動を行っているのであろうか。自分にとっての制作活動は何の意味があるのだろうか。

この半世紀、めまぐるしく変化にする世界史的にも大きな変革期の中を生きる事の恐ろしさと楽しさが同居している。特に近年のコンピューターの普及、脳の研究、遺伝子などによる生命科学への追求による発表は今までの常識とはかけ離れたものが多く興味深い内容である。しかし、それと同時に生命の存在が単なるコンピューターと似たような電子レベルの物理的運動の結果としての生命とするならば、生きている事とは何だろう、自分の意識とは何だろうと茫然とした不安に襲われる。ともすれば自分の足場を失ってしまうような危さがある。その中で自分のスタンスを確かめる行為の一つとして制作活動を行っているのである。その結果として形づくられたのが私の作品である。

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