新現美術協会50年史掲載(2000年12月刊行)
この世に幽霊がいるものかどうか分からないが、幽霊的な存在は確かにある。漢字にすると重苦しいので、ユーレイと書く。ユーレイ会社にユーレイ社員、ユーレイ船にユーレイ人口、最近はユーレイ秘書に国費から給料を受けて、猫ババする代議士など時折見受けられる。上記のユーレイは実体がないので、やはり言葉のうえだけであり、ユーレイには違いない。
話が脇道にそれたが、ユーレイ的存在がいないわけではない。わたしがそのユーレイ的存在だからである。若い会員、新しい会員にとって、物故したメンバーでもないのに、まだ顔もみたことがなく、名前だけの存在だからである。
突然、50年史を発刊するからと計画書や原稿用紙が送られてきたのが、8月始め。それにしても新現会が発足して、50年を迎えることになったか、と感慨無量の境地。依頼がきたからには書かねば義理が立たない。日本を離れて30数年、会員とは名ばかりの存在と化して今日に至った。その間、何度か仙台等で個展をしてきたが、そのたびに会より、御祝儀をこのユーレイ会員にいただいてきた。そんな事情もあり、長年心の中にわだかまりとなっていた。近況ぐらいは知らせねば、と当然のことながら思ったのである。
おそらく若い会員だけでなく、古い会員も最近のわたしをみれば、画家というより、もの書きになったのではないかと思っているかも知れない。確かにその通りで、そうみられても仕方がないほど執筆活動の方が比重として大きくなっている。しかしながら私の中では、依然として画家としての気持ちが強い。むしろ画家として培った考え方が文章に置き換えられている、と考えていただいた方が良いかと思っている。
なぜ文章の方へ比重がかかったかについて、話せば長くなるが、簡単に述べてみたい。現代アートの拠点都市ニューヨークに住み、世界一流のアーチスト作品の美術館で名作を毎日のように見ているうちに、私の頭の中は混乱をきたし、時を経るにしたがって、その度合は深まるばかりの状態であった。
ゴーギャンに「われわれは何処から来たのか、われわれは何んなのか、われわれは何処に行くのか」(1897年作、ボストン美術館)という名の名作がある。わたしはそのタイトル風に、「現代アートはどんな風に変わってきたか、わたしはどんな所にいるのか、今後アートはどうなってゆくのか」と真剣に考える必要を感じたのである。
その手掛かりとして、まずニューヨークにいることもあって、アメリカ美術を植民地時代に遡って研究し、書いてみようと思い立ったのである。アメリカは新世界といわれる如く、新しく建国された壮大な実験国家だ、とわたしは考えている。それ故、政治経済、軍事や科学、文化の成立発展の過程が、古い国と比較して分かりやすい。美術に関しても例外ではない。一応その成果が「アメリカ絵画の本質」(文春新書)となった。
次に20世紀の変転し、難解化する現代アートを、わたしの頭の範囲で分析整理する仕事を続けていた。やっと脱稿したのであるが、いつ出版されるかは分からない。というのも前記のはお金の話や食べ物、皇室関係や社会問題など、一般的教養専門書のシリーズの一つとして、店頭に並んでいる。他の分野の本と比べ、いかに売れゆきが悪いか、一目瞭然、ひと桁は違うようだ。アート関係の本はそんなものであるが弱いところである。
印象派展やルーヴル美術館名作展に押しかける人々の行列は何処へいったのか。幽霊だったのか。そんな気もしてくるが、世間に八ッ当たりしても詮ない話。わたしもうかうかできない歳になり、残り時間も少なくなってきた。有効に原稿と製作を両立して進めてゆこうと思っている。絵画に可能性は残っている、という心境になっている。
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