鈴木 琢也 (すずき たくや)
Takuya suzuki

新現美術協会50年史掲載(2000年12月刊行)

純粋芸術なんて本当にあるのだろうか。昔、何かを必死に祈った時代、命がけの祈りは神に通じると信じていた人々、それは芸術だったのかもしれない。

何の為に絵を描くのだろうか?私利・私欲、惰性、義務感、自己満足、名誉欲、プライド。

自らの利益も地位も名誉も求めず、ただ描けたら何て幸せなのだろう。

何故静物にこだわるのか?自分でもよく分からない。

少なくとも逆らわれたり裏切られたりすることはない。そこには安心があり、煩わしさはない。物1つ1つに誰かの人生を重ねて見ているのかも知れない。

新現会に入会して10年が過ぎました。この間、いやそのずっと以前から、いつも同じ疑問に自問自答しながら作品に向かってきたような気がします。

この10年、様々な刺激やご指摘をいただき、作品に対しての取り組み方もだいぶ変わってきたと思います。以前は静物といってもただ単に身近にある物を組み合わせ、小ぎれいにまとめれば良いと思っていましたが、今はよりテーマ性を重視するようになってきました。

例えば1つのモチーフを見つけた時。見る人によってそれはただの物でしかない。しかし、それを見続けるうちにその物の成り立ちやら時代背景が特に現代との比較において妙に気になるようになってきました。そう感じた時その物は物語性を帯びて私のモチーフとなるのです。所詮こじつけなのかも知れませんがしかし、今はそんな作業が自分の全てだと言えます。

答えを見つけてしまえば描かなくなってしまうのが恐ろしくて悩んだふりをしているのかも知れません。惰性といわれればそれまで。こじつけでもいい。今はただ完成した時の充実感と展覧会へ発表した時の反応だけが楽しみで描いているのかも知れません。

とりあえず今は答えが見つかるまで描くしかないのか。

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